竹中駿介さん(Blueglue)インタビュー

竹中駿介さん…2007年結成の3ピースロックバンド・Blueglue(Vo.&Gt.渡邊直也さん/Ba.斎藤涼介さん)のドラマー。現在、都内を中心に精力的にライブを行っている。
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収録日:2014年6月25日(水)15:30~ @東京都世田谷区

◆小学校2年生くらいから、ちっちゃいミュージカルみたいなものに出たりしていて。劇団に入っていた時期もありました。歌ったり踊ったりはもともと好きで。

――初めて観に行ったライブって何でしたか?

「高校1年生の時に軽音楽部に入ったんですよ、バンドがやりたくて。で、埼玉に蒲生っていう駅があるんですけど、そこにちっちゃいライブハウスがあって。軽音楽部の先輩たちがそこで企画ライブをするというので、新入部員としてそのライブをみんなで観に行ったのが初めてのライブハウス体験ですね。それでその日、OBとして参加していた先輩のライブを観てだいぶ衝撃を受けて。その人はボーカルだったんですけど、“歌ってすごいな、バンドってすごいな”と思って、その時にオリジナルのバンドをやりたいって思ったんです。その日をきっかけにバンドをやるっていうことにのめり込んでいきましたね」

――じゃあ、それまではバンドに対するこだわりっていうのはそんなになかったんですか?

「ドラムは遊びでやっていて、中学校では吹奏学部だったんですよね」

――吹奏学部ではパーカッション?

「じゃないんですよ、サックスを吹いていて(笑)」

――ドラムを始めたきっかけっていうのは…?

「小学校6年生までは新潟に住んでたんですね。それまでは僕、ずっと舞台をやっていて」

――え(笑)!?

「(笑)。小学校2年生くらいから、ちっちゃいミュージカルみたいなものに出たりしていて。劇団に入っていた時期もありました。歌ったり踊ったりはもともと好きで、母親もそういうことをやらせたがる人だったので。女の子が生まれたら宝塚に入れさせたかったみたいで、それは叶わなかったんですけど(笑)」

――そうだったんだ!

「それで埼玉に越してきたんですけど、日々をつまらなそうに過ごしている僕を見かねて、母親が“近くの楽器屋さんでドラム教室やってるから行けば?”って言ってくれて、“じゃあ行く”って言って(笑)。本当にそれだけですね。それまではピアノを習わされてたくらいで」

――その頃はどんな音楽聴いてました?

「本当にTVから流れてくる音楽だけです。あとはドリカムとか米米クラブとかサザンとか、両親が車の中とかで流していた音楽を聴いていたのが根っこにあるので、やっぱり歌モノとかJ-POPはすごい好きですね」

――そんな感じで音楽と付き合ってた時に、ドラムってものにピンときた?

「なんか、母親に言わせるとそれ以前から僕がドラムに興味があるみたいなことを言っていたらしいんです。ただ、僕には全然そういう感覚はなくて、本当になんとなくですね。だから、ドラムはバンドありきで始めたわけではなかったです。吹奏学部でサックスを選んだっていうのも、他の楽器もできるようになりたいなっていうのがあって。サックスは見た目もカッコいいし良いなぁと思って始めたんですよね。でもそれは、中学3年間やってもういっかなって思っちゃって」


◆その当時は周りに曲を書ける人とか他にいなかったので、僕のいる世界の中では彼(渡邊直也)が先駆者だったんです。抜きん出ていたんです。だから、“もう、この人信じてみようか”と。

――それでいよいよバンドになるんだ。

「先輩のライブじゃなくて、初めてプロのバンドのライブを観たのはNICO Touches the Walls。たぶん彼らがデビューしてすぐくらい、僕が17歳くらいの頃。代官山のUNITでワンマンがあって、それに行きました」

――それはどういうきっかけで行ったの?

「僕がバンドをやるきっかけになった、さっき話したボーカルの先輩がヤマハのTEEN’S MUSIC FESTIVAL(ヤマハ音楽振興会・ニッポン放送主催の音楽コンテスト。2006年20回大会をもって終了)に出た時に一緒になったみたいで、すごく推していて。この人がこんなに言うなら聴いてみようと思って検索してYouTubeで観て衝撃を受けましたね。急いでタワレコに行ってCDを買って聴いて、それで周りを誘ってそのライブを観に行ったんです」

――そもそも、そういうバンドの音楽を聴き出すタイミングっていつだった?

「中学の時にドラムをやりながら、なんとなくだんだんと“バンドやりたいな”って思い始めたんだと思います。その頃にBUMP OF CHICKENとかELLEGARDENとかを聴き始めたんですよね。中3の時にエルレの『Space Sonic』にドハマりしてましたね」

――それでBlueglueを結成するのが17歳の時だっけ?

「そう…ですね、高2ですね。その頃にはもうがっつりバンドをやりたいなという気持ちはあって、軽音部の中で自分が引っ張って上手く回していこうと思ったんですけど、なかなかそうもいかなくて」

――熱量に差があるからね。

「そうそう、そうなんですよ! で、おんなじような思いをちょうど同時期に渡邊直也も抱いていて。彼とは高校は違うんですけど、やっぱり軽音楽部で部長をしていたんです。彼はもうオリジナルもちょっとやるようなバンドをやっていたんですけど、たぶん“なんだかなぁ”と感じていたと思うんですよね。それで別にオリジナルだけをやるバンドを斎藤と一緒に立ちあげたんです。だから、もともとはその2人で始まったバンドなんです、Blueglueは」

――そのバンドに加わるきっかけっていうのは何だったの?

「渡邊の高校の企画に、周りの学校の軽音からいろんなバンドが呼ばれてたんですよ。それにウチの軽音からも1バンド出演することになって、じゃあ観に行こうかってなった時に、初めてステージに立っている渡邊を観て、“あ、面白い人いるな~”って(笑)」

――第一印象(笑)。

「当時、僕はACIDMANが大好きで。で、彼もACIDMANのコピーをしてたんですね。『赤橙』。それで“仲良くなりたいな”と思って、次のライブも観に行ったんです。そこで初めて話しかけて、そしたら“新しくバンドを始めようと思ってるんだけどドラムがいないんだよね”って話をしてくれて、“じゃあ1回スタジオに入ってみようか”ってなったんです。そこからですね。本格的にスタートしたのが高2の夏前くらいでした」

――初めてのスタジオはどうでした?

「めちゃめちゃ楽しかったですよ。でも、言うても知らない人ですから。斎藤さん喋らないし(笑)」

――(笑)。

「ただ、初めて知らない人とスタジオに入る刺激的な感じとか、やっぱりすごく面白くて。共通して通っている音楽も、もちろんACIDMANもだし、あとはレッチリとかそういうのがあって。音楽的にはすぐ結びついたというか」

――でも、オリジナル楽曲をやるバンドを組むってなって、直也くんが曲を作ってくるわけじゃない。彼の曲についてはどう思ってたの?

「当時思っていた感じとは今はまた違いますけど、その当時は周りに曲を書ける人とか他にいなかったので、僕のいる世界の中では彼が先駆者だったんです。抜きん出ていたんです。だから、“もう、この人信じてみようか”と」

――“一緒にやってみようか”と?

「そうそう、うん」

――Blueglueとしての初ライブっていつだった?

「僕が入る前に、2人だけでやってるBlueglueが2回くらいライブしてるんですよ。渡邊がスタジオでドラム叩いたのをMDに録音して、それに合わせて竿モノ2人が演奏するという。僕はそれを観に行ってて、“これはドラム入った方が良いな~”と思って(笑)。それももちろん悪くなかったんですけどね。3人での初ライブは高2の7月に北浦和のKYARAっていうライブハウスででした」

――覚えてます?

「覚えてますよ、もう超緊張してて(笑)」

――(笑)。

「それまでも軽音部のライブで外のライブハウスで演奏をする機会はあったにはあったんですけど、それとは全く違う空気というか。友達もけっこう観に来てくれたりしたんですけどね。KYARAって少しステージが高くて、お客さんに見上げられている感覚というか。そういうのがあって、めちゃめちゃ緊張しました」

――高校の時だけで2年近く活動してるんだ。

「そうですね。コンテストも出ましたし」

――それはどうだった?

「いちばん最初は音楽甲子園っていう大会があって、それはウンともスンとも言わずに終わったんですけど、高3の時に横浜ハイスクールミュージックフェスティバルっていうのにエントリーした時は勝ち進んで、横浜アリーナでやりました。受験生だというのに(笑)」

――その頃はまだ、バンドもやるけどとりあえずは進学して…みたいな感じだったの?

「いや、でも何にせよバンドはずっとやって行くんだろうなっていうのはその時点からありましたね。家族の意向で“とりあえず大学くらいは出なさいよ”っていうのがあったので、進学するのは大前提だったんですけど」


◆“うわあ渡會さんだ!”ってなって(笑)。それからしばらくは渡會さんに<目がキラキラしてる子>と呼ばれる時期がありました(笑)。

――都内でライブをするようになったのは大学生から?

「いえ、GARAGE(ライブハウス下北沢GARAGE)に高3の時に来てるんですよ」

――おお!

「それ以前にも友達のツテで大久保あたりでライブしてたかもしれないんですけど、たぶんちゃんと“下北に進出しよう”っていう話を3人でして来たのはそれが最初ですね。何でGARAGEだったかっていうとACIDMANの影響はでかいです。真っ先にGARAGEの名前が挙がって、“とりあえず行ってみよう”ってなって。その場は音源渡してすぐ終わったんですけど、下北で買い物とかした後の帰り際に直也の携帯に電話が入って、“音源超良いじゃん! 出ようよ出ようよ!”って言ってもらえて、“早い!!”と思って(笑)」

――(笑)。

「それで高校生の頃は1回か2回、出してもらって、それからですね。FoZZtoneも出演してるのを知ったのは、実際にGARAGEに出入りするようになってからですね。FoZZtoneに関しては、高2か高3の時にラジオで名前を聴いたのが最初ですね。うろ覚えでちょっと検索しようと思った時に<ファズトーン>で検索してて、何にも出てこなくて!」

――それは検索するにはキツイ間違え(笑)。

「で、“あ、<フォ>か!!”って気付いて(笑)。そうしたら『平らな世界』のビデオが出てきて、完全にやられて。その当時、高校でやってたバンドで“次、これコピーしよう!”って言ってムリクリ『平らな世界』をやったんです。その後もずっと聴いていて、そしたらGARAGEの周年イベントで一緒にできるということが判明し…あれ、いつかな。大学2年とかだったと思うんだけど、4、5年前。フォズと、バタスト(butterfly inthe stomach)と、the SALOVERSの3マンのOAで出してもらって。それでGARAGEの前に行ったら搬入してた竹尾さん(竹尾典明さん/FoZZtone Gt.)がいて挨拶をして、“あああ…!”って思いながら階段を登り2階の事務所に行き、“下でー! 竹尾さんに会ったんですよー!”って話をしてたら、もう隣に渡會さん(渡會将士さん/FoZZtone Vo.)来てて(笑)。“うわあ渡會さんだ!”ってなって(笑)。それからしばらくは渡會さんに<目がキラキラしてる子>と呼ばれる時期がありました(笑)」

――なんか分かる(笑)。

「あと、直也がOAで出させてもらったGARAGEのイベントで渡會さんが弾き語りで出ていて、その時に1曲目で演奏した曲が忘れられなくて。それは後々『再脱走のテーマ』だってことが分かるんですけど、その時はまだ名前がなくて。弾き語りであんな、あんな…渦に巻き込まれるような溺れそうになるような曲があるんだなって…改めて思った、あの日。ありましたね、そんなことも」


◆メンバーに対して“あいつ気に食わねぇな”とか思ってたとしても、ライブをやると“ああ、こいつ最高だな”ってなるわけですよ(笑)。

――竹中くんにとって、ライブをすることの魅力って何だと思う?

「ライブはもちろん楽しいとか面白いとかっていうのはごくごく当然のことなんですけど、最近思ったのは例えば色々上手くいっていない時に…私生活が上手くいっていないとか、バンド内の人間関係が上手くいっていないとかがあっても、ライブをやると帳消しになるというか。全てが上手くいくような気がするというか、マイナスなことが無かったような気になるというか…。メンバーに対して“あいつ気に食わねぇな”とか思ってたとしても、ライブをやると“ああ、こいつ最高だな”ってなるわけですよ(笑)」

――また漠然とした質問になっちゃうんですけど、じゃあバンドの魅力って何ですか?

「僕の場合は始まりはバンドではなかったんですけど、なぜ人前で表現することに興味を持ったかというと、やっぱりきっかけは音楽だったんですよ。小さい頃に聴いた音楽に心を動かされて、<人の心を動かしている人たち>つまりは音楽をやっている人たちってすごいなって思って。ああ、そういうことできるようになりたいなと。最初はもう媒体は何でもいいから、とにかく人に影響を及ぼせることをしたいと思って。それで今、自分たちで曲を作ってバンドをやっていて、それができている…と言ってしまいますけど。できているなぁと思っていますけど。だから、それじゃないですかね」

――やっぱり、人ありきなんだね。

「自分が音楽家じゃないなぁと思うのは、作っていることとか演奏したりすることだけで、もちろんそれも楽しいんですけど、でもそれだけじゃ何も完結しないんですよ。やっぱりライブを観てもらったり、CD作って聴いてもらったりして、何らかの形でレスポンスが返ってきて初めて僕の中で“あ、やってるな”って感じがするんですよ。ライブだと特に言葉じゃなくてもお客さんの表情であったり、直に伝わってくるものが多いのでやっぱり良いなぁと思いますね。それに今の時代、いろんな人がいろんな場所で発信できるので、みんなにももっとBlueglueのことをどんどん言って欲しい! って思います」

――レコーディングをして作品を作るっていう流れも、そこに向かっているイメージがあるのかな?

「うーん…レコーディングはまた別の次元の話かなとも思うところもあるんですけど。でも僕は正直言って音楽のことは分からない…分からないって言い方はちょっと良くないですけど(笑)。専門的に音楽を勉強したことが無いので、そういう知識が無いんです。だからいざレコーディングってなった時に、感覚でしか物事を喋れない。でも他のメンバー2人は僕よりも全然音楽的な知識が深いから、僕より音楽的だなぁという目で2人を見てるんですけど。逆に僕は分からないから、専門的なところに足を突っ込まずに“普通の人が聴いたらこう思うんじゃない?”って言える立場にいようと勝手に思っていて。いちばん普通のリスナーの目線を持っていたいと、レコーディングの時には思っています。音楽家的、バンドマン的にはもっと2人みたいなことをやった方が良いんだろうけど、でも“普通の人ってそれ要る? 要らないね”って言うことができたりするので。何ならレコーディングとかもみんなに観てもらいたいなって思いますもんね」

――え、良いなぁそれ。すごく良い試み。

「ドキュメンタリー映像を作ったりしているのも、それが多少あって。なんか、オフ会レコーディングみたいなの面白いんじゃないかなって。だいぶ試されますけどね(笑)。やっぱり線引きはあると思うんですけど、色んなことを知ってもらってた方が良いんじゃないかなって」

――私は観客側だけど、そういうバンドはやっぱり情が移るよね。

「情が移る?」

――うん、…やっぱりもちろんその音楽で知って、音楽が良いからそれを聴きにライブにも行くわけだけど、人として更にこちら側に働きかけてくるのもがあるとやっぱり、気持ちが動くところは大きいよね。特に今、これくらいの距離間で観ていると。それはねぇ、思うよ。それが良いのか悪いのかはよく分からない部分も正直あるけど。

「ああ、それは、はい」

――両面あると思うんだ、良い方向に働く部分もあるだろうし、かと言ってなあなあになっちゃダメだろうし。

「でも100人200人なら、全員の顔と名前くらい覚えられますからね。それくらいの距離でやっていきたいなとは思っているんですよ」


◆僕はミスチルになりたくて、ここ数年バンドをやってきたんですけど。

――でも、もちろん広いところでもやっていきたいなっていうのもあるよね?

「もちろんもちろん! ぜんぜんもう、バンドが始まった当初から“いつでっかいフェスに出てもいいような準備はしよう”って(笑)。最近もまた渡邊が言ってましたけど、“俺らが夏フェスにでたときの絵ヅラを考えていきたいんだよね”って。『AfterDark,Sunlight』(2013年3月リリースのミニアルバム)を…特にその中の『ヒューマンアンセム』って曲を作ったあたりで、“いくら100人規模のライブハウスでライブをしていても、大きいところが浮かぶようにやろう”というか、こっちがまず大きい視野を持ってあの曲はやるべきだっていう話をして。僕は完全にあの曲のイメージはFoo Fightersの『Best of You』を超デカいスタジアムでやってるイメージで(笑)。とにかくこうアリーナ席が広がってるのをイメージしながらやっていて。大きいところをイメージしよっていうのはすごく言っていた時期があって。バンドのスケールを大きく見せるにはどうしたらいいかって話なんですけど」

――以前、直也くんに“俺たちはもっと大きなところに行かなくちゃいけないんだ”って熱く語られたことがあるんだけど。その時はすごい酔っぱらってたんだけど、彼(笑)。

「あいつ、そういうとこある(笑)。でも、あいつがそういうこと言ってないとどうしようもない部分もあるので」

――旗振り役だからね。

「そうですね、お客さんも付いて行かないですし俺らも付いて行かないですし。どんどんでかいこと言ってくれ、と。でも、こういうこと言うのもあれですけど、最近良いんですよ(笑)。ワンマン(2014年4月18日@下北沢GARAGE)終わってから、タイミングとしてバンド的にひと段落つくというか、これからどう転ぶんだろうなって時期で、ワンマン前と同じことをしているわけにはいかないなぁと各々思っていたと思うんですけど。でもワンマンの後のライブからガラッと…変わったような気がしていて。3人それぞれ変わってるんですけど、僕的には直也がいちばん変わったというか…また一歩ステージを登りかけているような、次のステージに足をかけているように見えて。うん、面白いなぁという感じはしますね。だから僕とかリョウコ(Ba.斎藤涼介さん)とかは、あいつをどれだけ自由に面白くさせるかが新しいテーマとして出来てるなぁと思うんですけど。あの、僕、ミスチルになりたいんですよ」

――…ハイ(笑)。

「(笑)。僕はミスチルになりたくて、ここ数年バンドをやってきたんですけど。音楽性とか云々ということは置いといて」

――立ち位置というか、ポジションとして?

「ポジションとしてああいう国民的バンドになりたいっていうのももちろんなんですけど、バンドのスタイル? 僕はミスチルがすごい好きだっていうのもあるんですけど、ミスチルのドラマーのJEN(鈴木秀哉さん)がすごく好きで。まず何でJENが好きかっていうと、あんな絶対的フロントマン桜井和寿がいるにも関わらず、あんだけ存在感消さずにドラム叩いてる姿が超カッコいいなと。それに加えて、ミスチルっていうバンドも、みんなフロントマンに注目するけど、いざ音楽的に見た時にバンドはしっかりしてるし、たぶんコアなファンから言わせればメンバーそれぞれのキャラもちゃんとあるんだろうし。そういう部分…ミスチルになりたくて……だなぁと思っているんですけど、ね(笑)」

――でも、そうか、フロントマンがものすごく強力でありながら…ってことか。

「そうですね。あと、ミスチルって超有名な曲なのにライブになった途端、がっつりアレンジしてくるところが大好きで。“超アーティストじゃん、超バンドマンじゃん!”って(笑)。そういうバンドいっぱいいるのかもしれないけど、僕はミスチルを観ててそう思うんですよ。それこそたぶん、小学生の頃にTVから流れてくる音楽の中にすでにミスチルはいて。で、高校時代とかは僕もちょっと尖っていたので、“ミスチル? 聴かねぇよ”みたいなそういう感じだったんですけど(笑)。いざ、“やっぱり歌ものだ”って立ち返った時に、小学校の頃に聴いてたような音楽をもう1度漁り始めて。山達、ドリカムとか、そこにミスチルもいて。ライブ映像を観た時に“あ、バンドだ”って。“圧倒的にバンドだな、こんなに売れてるのに”って。だから、絶対的なものはありますよね、ミスチルに対して」

――歌ものに立ち返ろうって思ったのは…1回バンドを初めて、特に歌ものに対して…さっき“尖ってた”って表現をしたけど。やっぱり離れてた時期はあったわけでしょ?

「まぁ洋楽とか聴いてた時期はありました。なんでしょうね…ただ、自分がいざオリジナルの音楽をやっていこうってなった時に……“ここじゃないな”って思ったんじゃないですかね。Blueglueがどうなっていきたいかっていうことにも関係あるんですけど。やっぱり、良い曲良い歌みたいなのが根っこではあるので、もっとみんなに聴いてもらうにはどうしたらいいんだろうっていう時に、ちっちゃい頃から聴いてた音楽に立ち返ったのかな、と思いますね」

――今後のBlueglueはどうなっていきたいですか?

「いやぁ、大きくなりたいですよねぇ。……もう“大きくなりたいですね”しか言えないですね。そのためにどうすれば良いかとか色々ありますけどね(笑)。“長くやりたいな”も、もちろんあるんですけど。でも、うん…端的な言い方をしちゃうと、絶対良いと思うんだけどなぁ(笑)。色んな曲があるから、例えば8曲くらい全国に投げたら、8曲中1曲は絶対に引っかかるものが日本の皆さんにあると思うんですよね。そういうものをやってる自負はあるから、色んな人に聴いて欲しいです。いやね、こんな幅広いことをできるバンドはなかなかいないと思うんですよね。パーティーパーティー言ってるところもあれば、じっくり聴かせられる曲もあれば、どんより暗い曲もあれば。こんなに人間的なバンド、人間的な音楽っていうのは」

――人間的な音楽って、本当にその通りだね。

「いや、きっと売りにくいですよ、大人からしたら(笑)。色が付けにくいから、あとはキャッチコピーが付けにくいから。パッとしないんですよね、そんなにカッコ良くもないですし(笑)」

――いやいや(笑)。

「こういうところ、載せなくていいんで(笑)。だからね、そういう中でどうしたらいいのかって、今は常々考えてはいるんです」■

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