小宮章太郎さんインタビュー

≪お話のお相手≫ 小宮章太郎さん…2010年、高校生の時にThe Fickle Casketのフロントマンとしてロッキング・オン主催「TEENS ROCK IN HITACHINAKA」優勝。ROCK IN JAPAN FES.2010出演。2014年にアコースティック小宮バンド(後、夕雲に改名)としてYAMAHA主催 The 7th MUSIC REVOLUTIONファイナル進出、SHIBUYA-AXのステージに立つ。2014年10月、新たにロックバンド・TRUMANを結成。
収録日:2014年10月21日(火)20:00~@東京都渋谷区

◆その頃みんなバカだから、バンドってどういう編成でやってるのか知らなくて。とりあえずギターが7人くらいいて、ドラムが1人(笑)。

――いつもこの質問から始めるんですけど、初めて観に行ったライブって何でしたか?

「観に行ったのは中1くらいでしたかね。さいたまスーパーアリーナにゆずのライブを観に行ったのがいちばん最初でしたね」

――それは誰と行きました?

「母親とですね」

――むしろお母さんが行きたいっていうのについて行った感じ?

「そうですね! ゆずを知ったのが小2…小3くらいで。お母さんがカーステレオっていうんですか、車の中でかけてたのを聴いて“ああ、こんな爽やかな音楽があるんですね”みたいな」

――小2で(笑)。

「その時はそんな感想じゃなかったと思うんですけど(笑)。ずーっと流れてると好きになるものってやっぱりあるじゃないですか。それで好きになって、アルバムも買ってもらったりして、それでライブに行ったんですよね。小学生の頃はライブっていうものはまだよく分かってなかったんですけど、中学生になって行って…ステージの真横みたいな席だったんだけど、楽しかった」

――じゃあ最初に好きになったのはゆずだったんだね。

「そうですね。小学生時代はゆずとかドリカムとか、あとORANGE RANGEも流行ってましたね」

――そうだね、ORANGE RANGEはそのくらいの時期だよね。

「ORANGE RANGEとかみんな聴いてて…他にはポルノグラフィティとか、ああいうJ-POPを聴いてましたね」

――いわゆる、TVで流れてる音楽だよね。

「ですね。TVだったり友達の間で話題になってて。当時MDだったんで、その人のお薦めのプレイリストとかを焼いてもらって」

――それ、小学生でやってたの!?

「うん!」

――浦和、都会だなぁ(笑)。

「都会ですよ(笑)。歌うのも好きでしたね」

――その当時からなんだね。人前で歌ったりはしてた?

「いや、それはカラオケくらいですね。そういう場で歌ったのを“良いねぇ!”とか誉められて、“あれ、俺、歌いけんじゃねぇの!?”みたいに思ったのが最初のきっかけでした」

――ギターはいつからだったの?

「ゆずが好きだったから中2の時にアコースティックギターを買って、ギターコードを練習して。歌いたい曲をパソコンの画面見ながら延々弾いてる…みたいなことをしてた時期がありましたね」

――初めてバンドを組むことになったのはいつになるの?

「バンドは…中2か中3の時に、サッカー部の音楽好きな奴らと一緒に、やっぱりBUMP とか the pillowsとかが周りで流行ってたので“バンドやろうぜ”ってなって。でもその頃みんなバカだから、バンドってどういう編成でやってるのか知らなくて。とりあえずギターが7人くらいいて、ドラムが1人(笑)」

――ベースは(笑)?

「いない(笑)。あと、ボーカルが4人(笑)」

――斬新(笑)。

「たまに俺の家とかに集まって誰かがギター弾いて、“あ、上手いじゃん!”みたいな(笑)」

――ギターを弾く会(笑)。

「“なにやる?”“BUMPの新曲出たよね、『涙のふるさと』。あれやろうよ!”とか言って。 けっきょく何もしなかったですけどね。その編成じゃできないし(笑)、そのまま自然消滅しちゃった。名前は、言わない」

――名前、今訊こうと思ったのに(笑)!!

「いやいや(笑)。曲とかもなんとなく作り出してましたけどね、ギター買って半年くらい経った頃から」

――早いね! もともと作りたいっていう願望はあったの?

「なんか“作ってみたいな~”っていう気持ちはあって。知ってるギターコードとかを並べていったら、なんとなく曲できたな~って。その当時、何故かちっちゃいICレコーダーを持っていて、それに録音して。The Dormitory(The Fickle Casketの後継バンド。現在活動休止中)のGt.の木村君とかは中学が一緒だったから、その時から聴いてもらったりして。好きな女の子に向けての歌とかを(笑)。懐かしいなぁ(笑)」

◆俺らの次が世界の終わり(現SEKAI NO OWARI)で、彼らを観たい人たちが集まってるんだけど、スタンディングであんなぎゅうぎゅうな景色は見たことがない。なんかもう…すごかったですね。

――じゃあ、本格的にバンド活動を始めたのは高校生になってからかぁ。

「うん、高校生になって軽音部に入って…。ただ、中3から高1にかけて、3ピースバンドを一瞬だけ組んだことがあって。自分がボーカルとギターで、他にちゃんとベースとドラムがいて。たまにスタジオとかにも入ったりして、コピーとかをやってたりしてましたね」

――おお!!

「それでその後になるんですけど、高1の時に中学の同級生だったザキム(現Enhydra Lutris Gt.)の高校の文化祭に遊びに行ったら、校内を闊歩してるザキムに会って。あいつ、料理部で何もしてなくて」

――料理部…?

「尖ってるから、逆に料理部に入るんだけど(笑)。で、偶然会って、“バンドやろうよ!”みたいなことを言ったら、“え、マジで!?”って、すごい嬉しそうな感じで乗ってくれて。あいつはさっきの3ピースバンドを俺がやってたのを知ってたから、“あ、俺は小宮とバンドやれねぇんだ”って思ってたらしくて。そこで一緒にやることになったんですよ。僕の高校からベースとドラムを見つけて、高3が終わるまでやるバンド(The Fickle Casket)を」

――ロッキン出たのってそのバンドになるんだよね?

「高3の時にTEENS ROCKっていう大会があって、そこで優勝させて頂いて。はい、出ましたね」

――それって、どんどん勝ち進んでいったって形?

「いや、1次審査で音源送って、それを通ったらもう決勝大会。で、優勝して…ひたちなかに行ってライブした、みたいな(笑)」

――ちょっと順を追わせてもらうけど、そのバンドで初めてやったライブっていうのはいつだったか覚えてる?

「たぶん高1年生の冬くらいだったと思います。秋ぐらいに組んで、割とすぐには」

――その時にはもうオリジナル曲をやってたの?

「オリジナルを2曲と…コピーを2曲とかだったと思います。あの頃、英語で歌ってたの(笑)」

――なんでみんな最初は英語で歌い出すの(笑)?

「そうそうそう! なんなんだろうなぁ、あれ(笑)。恥ずかしかったんじゃないですかね、歌詞の内容が。ライブ自体はそこから割とコンスタントに、月に1本か2本はやっていて」

―場所は浦和近辺?

「だいたいそうですね。高2の最後の方に1回ガレージ(ライブハウス下北沢GARAGE)でやったことがある。当時ACIDMANが大好きで、彼らがガレージ出身っていうのも知ってたし、高校の先輩だったBlueglueがやってるのも知ってたから、やってみたいなって思って」

――そういう活動を経てロッキンになるんだ。…どうだった?

「いやぁ、すごかったですよ。俺らの次が世界の終わり(現SEKAI NO OWARI)で、当時1st アルバムが出てバーンってきてた時で。WING TENTってゆうちっちゃいステージだったんですけど、俺らが最初サウンドチェックに出た時点でお客さんの数がヤバいんですよ。で、本番で出て行ったら本当にびっしりなんですよ。たぶん…たぶんっていうかそうなんですけど、世界の終わりを観たい人たちが集まってるんだけど、スタンディングであんなぎゅうぎゅうな景色は見たことがない。なんかもう…すごかったですね」

――やってみてどうだった?

「その時はもう本当に緊張しまくってて、パッと見たお客さんの光景くらいしか覚えてなくて。すげぇ汗かいたなってくらいしか(笑)」

――でも、The Fickle Casketはその後に解散しちゃうんだよね?

「うん。いろんな事情があったんだけど、受験を機にこれで最後にするかってなって。ロッキン出てすぐ解散しました(笑)」

――(苦笑)。で、組み直した感じになるのがThe Dormitoryになるんだ。

「そう。大学に入ってからもザキムとはずっとつるんでたから、バンドやりたいよねって話はしてて。他に高校時代の先輩を誘って始めましたね」

◆今、自分がやっていることにドキドキしているので、自分の中でカッコ良いことだけやってドキドキしたいし、させていきたい。

――小宮君って変遷は多いんだけど、ずーっと途切れなくバンドやってるんだよね。すごいね。

「ね! でもあんま良くないと思うんだけどね、どうなんだろうね。だから、ずっと続けてるバンドは偉大だなって思いますよ。続けるってすごく大変ですもん」

――まぁ、続けててもどこにも行けないなら…っていうのもあるのかも知れないけど。

「…なんか、“歳をとると頑固者になる”みたいに、バンドもずっと続けてると硬くなってきちゃって。何かを変えようと思って決意して頑張ってみたりもするんだけど、やっぱり周りも同じだから何にも変わらなかったりして、停滞しちゃうみたいなことはけっこうあって。難しいなぁと思いましたね、続けることは」

――バンドみたいに何人かが集まってひとつのものを作っていくのって、本当にすごいなって思う。

「無理だと思ってたんですよ、俺も。その…2か月前まで(笑)」

――(大苦笑)。

「ふわふわしてたんですよ、2か月前まで」

――これだけ色々バンドをやってきて…。

「やってきたからこそだと思いますね。やってきた音楽も、組む相手によってぜんぜん違ってきてて。俺自体の力がそんなにないからなのかもしれないけど。周りの人が変わると変わっていくって、そういうことじゃないですか」

――逆にそれって、人とやる意味がものすごくあるよね。基本的に曲を書いてるのはどのバンドでも小宮君でしょ?

「基本的にはそうですね。一時期のThe Dormitoryとか今のTRUMANとかはセッションしながら作ってる感じで、俺が家でガチガチに曲を作りこんでる形じゃないですけど」

――今はTRUMANと夕雲を並列でやってる感じだよね。

「あの、突飛な話なんですけど、占いで手相を見てもらった時に“あなたは2つのことで常に悩むタイプですね~”って言われて。ああ、そうかもしれないってちょっと思っちゃったんですよ。The Dormitoryとアコースティック小宮バンドをやってた時も、どういうスタンスでやったらいいのかが難しくて。どっちもただ良いものをやりたいだけなんだけど、スタイルが違くて…とか色んなことを考えてたら訳分かんなくなってきちゃって。上手く割り切れる人だったらもっと器用にやってたんだろうけど……The Dormitoryの活動休止も俺のせいだし。難しいよな…」

――小宮君ってすごい考えるタイプなんだろうなって、最近思うよ。

「そう、考えすぎなんだと思う。バンドを2つやってる意味とか…意味なんてけっきょく自分が決めるしかないわけだから。それを決めるだけの自分の器量がないのにやっちゃってたんだなぁー…って、後悔してます!」

――え(笑)!?

「ネガティブモード入っちゃったよ(笑)! こんだけバンドをいっぱいやってると、1人でやるのがいちばん良いのかなぁって思う時がけっこうあって。ちょうどTRUMANを始めるまでの夕雲だけをやっていた期間に、また2つのことで悩んでるんですけど(笑)。夕雲をやるかソロでやるか、みたいな感じで(笑)。本当にねぇ、タチ悪いですよ、俺。“ソロでやるのが良いのかもしんない”っていう変な気持ちが生まれてきて、弾き語りとかも色々やってはいたんですけど。なんかね、自分を客観的に見すぎるところがあるなって思ってて。必要のないところまで自分を追い詰めようとするというか。その点でね、ある意味では損をしてたし、これからの教訓にはなったかなと思いました」

――好きでやってることのはずなのにね。

「うん。今、TRUMANを衝動的に始めて…。“ロックバンドでライブしたいな”って思ったその日の夜にはガレージの大橋さんにLINEして日程決めてもらって」

――バンドができる前からでしょ? すごいね!

「それでその後にベースの千葉君にLINEして、いいよって言ってもらえて。で、岳君にTwitterのDMでドラムをお願いしたらすぐに返事が来て」

――一瞬だね!

「誰でも良かったわけじゃぜんぜんないんだけど、こういう風に突き動かされる感じがここのところなかったから。ここはもう勢いでもなんでも決めちゃえって思って。ライブ決めてメンバー決めて、曲もすごく自然に作って、今すごく良いなって。やっぱり、色々考えすぎてたんだろうなってすごく思って。売れるとか、売れないとか。もちろん考えなきゃいけないことはたくさんあるんだけど、もっと根本にある音楽をやっていく上で大切なものを…。もちろん売れたい気持ちはあるけど、ただ売れたいだけ、というわけではなかったから」

――今後はどうしていきたいとかってある?

「今は、ただただ自分がカッコ良いと思うことしかやりたくないなって。今まではそれがすごく難しかったんですよ。売れたいなって思って、売れてる音楽を聴いたりしてて。ここ2、3年くらいはずっとそういうことをやっていたんだけど、正直そういう音楽をつまんないなと思って。もちろん売れてる音楽の中でも大好きなものもありますよ? でもなんか…俺がすごい好きなバンドがぜんぜん売れてなかったりもするから。それで、“こういうことをやれば今の若い世代には受けるんでしょ?”みたいな感じでやっていて。そうすると感覚がマヒしてきて、そもそも何で俺は音楽をやってるんだろうって思った時期もあって。でも今は、純粋に始めたTRUMANってゆうバンドがあって…だから、この感じで生活していきたい(笑)。このバンドの名前、すごい良いなぁって思ってるから、その名前に近づきたい。まだ15分間のステージしか踏んでないようなバンドですけど、自分が信頼している人に良いじゃんって言ってもらえたことが本当に嬉しくて。だから、純粋にカッコ良いと思うことだけ追い求めて行ったら、この先もっと面白いことあるんじゃないかなっていうのを、改めて気付きましたね。今、自分がやっていることにドキドキしているので、自分の中でカッコ良いことだけやってドキドキしたいし、させていきたい。そういうものが、人の心を動かすと信じてます」■

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