みお×ツルヤ―ライブについて

≪お話のお相手≫みおさん…東京都出身&在住の女性。大学在学時に音楽ジャーナリスト鹿野淳さん主催「音小屋」に第1期生として参加。高校生の頃にベースを始め、現在はFoZZtoneの竹尾典明さんにギターを習う。ザ・チャレンジファンによるバーベキューなども主催。
収録日:2014年5月2日(金)18:30~@東京都渋谷区

――初めて行ったライブって何ですか?

「人生で初めて行ったライブは、6歳の時の矢沢永吉の武道館なんですよ。両親が矢沢永吉が大好きで。毎年12月に武道館公演があるんですけど、両親はわたしの生まれた年以外はずーっと行ってるんです。永ちゃんのライブって6歳以下は入れないんで、それで6歳の12月に行ったのが初めてのライブです(笑)。それから毎年行ってます」

――記憶ある?

「いや、結構ないですよ。10歳くらいまでないです。その間もずっと行ってるはずなのに。でも、その6歳までの記憶の方がありますね。永ちゃんのライブの日は、おばあちゃんがうちに来てわたしの面倒を見ててくれたんで。そのことの方が覚えてます(笑)」

――自分で初めて行ったのは?

「中学生の時にBUMP OF CHICKENの幕張メッセに、その時のクラスメイトと行きました。RUN!RABBIT!RUN!のツアーです。ライブハウスに初めて行ったのは、バンプとTHE BACK HORNと銀杏BOYZの…」

――SCHOOL OF LOCK!(TOKYO FMの人気番組)の企画だ!

「そうです!!」

――すごいね、あれ行ったんだ!

「もともと私が中学2年生の10月にSCHOOL OF LOCKが始まって、毎日聴いてましたね。それでめちゃめちゃ行きたくて、自分の誕生日が近かったんで誕生日プレゼントっていうことで、がんばってチケット入手しました」

――あのメンツ、当時からすごかったもんなぁ…。

「当時もすごいなとは思ってたんですけど、後から考えるとやばいですよね。それでバックホーンを間近で観て…今でもいろんなバンドを観て“かっこいい!”って思うことはいっぱいありますけど、やっぱり最初の衝撃が忘れられないというか。ベースの岡峰さんがすごくかっこよくて、あれからずっと、いちばん大好きですね。大学付属だったから受験もなかったし、高校生の頃がいちばんライブに行ってたかもしれないです。うちは門限10時とかだったんですけど、ライブのときだけは事前申告すればいいよって言ってもらったんで。バイトしてはそのお金でライブに行ってましたね」

――それでベースも始めたの? もともとベースの人だよね、みおちゃん。

「そうですね。でもベースは、高校の文化祭で友達のバンドを観て“うちらもやりたいね!”ってクラスで盛り上がって始めて、その時からです。チャットモンチーとかYUIとかやってました」

――竹尾さん(竹尾典明さん/FoZZtone)にギターを習おうって思ったのは何で?

「大学では軽音サークルに入ったんですけど、軽音サークルって、なんでもできる人が多くて。ギターできる人は8割ベースもできるみたいな。だから、ギターもできたら楽しいだろうなっていうのはあったんですよね。ただやっぱりベースがすごく好きで、好きなベーシストってたくさんいるんです。でも、ギタリストで好きなのは竹尾さんだけなんです!!! だってあの…かっこいいじゃないですか(笑)」

――ええ、カッコ良いですね(笑)。

「それでTwitterで“ギター教室始めます”っていうのを見て、すぐにギターを始めようと決めました(笑)」

――鹿野さんの音小屋の話について聞きたいんだけど、あれはどういう経緯で参加したの?

「鹿野さんについては、もともと有名な人だから知ってましたけど、LUNKHEADのイベントでDJをしていたとき、初めて目の当たりにして。そのDJがすごく楽しかったんですよね。あと、やっぱり音楽が全体的に好きで、雑誌とか…ROCKIN’ON JAPANとか読むじゃないですか。そうすると、ここで働いてみたいなとかも思うじゃないですか。話が遡るんですけど、高校生の時にフリーペーパーのライターみたいなことをしてたんです。もちろん大人が運営していて取材とかも大人が取ってくるんですけど、そこで“行きたい人!”って言って挙手した高校生が取材に行くみたいな。それでアジカンとチャットモンチーと長澤まさみに取材したんです。で、“やべぇ”って思って(笑)」

――それはヤバいわな(笑)。

「だからそういうの面白いなって思ってたんですけど、でも大学ではそういうところに所属せず。そういうところはやっぱり忙しそうで、バイトできないしライブ行けないし、ってなっちゃうと嫌だったので、結局趣味を優先させたんですよね。ただ、だから覚えがあったんです。あと、大学のサークルで“お薦めのバンド教えてよー”とか聞いても、もうすでに自分が知ってるバンドしか答えが返ってこないことに物足りなさを感じて…だから、音楽好きの人ともっと知り合いたかった!」

――なるほどね!

「あと、わたしは結局、音楽のよさは言葉では伝えられないと思っていて。どんなにいい文章を書いても百聞は一見に如かずで、聴くのには勝らないなと。でもフェスは大好きだったから、イベンターがいいなと思ったんです。わたし自身、フェスですごくいい出会いをたくさん経験してきたので。それで音小屋の講義予定に<フェスを作ろう!>みたいな回もあって、ライター志望じゃなくてもいいんだ、やりたいなって。すごかったですよ、BIGMAMAの金井さんとかサカナクションの一郎さんとかが、普通に来てくださって」

――流石だなぁ。

「ただ、それで時期的に就活になるじゃないですか。その時に…“これは大変だな”って思って(笑)」

――そうだよねぇ(笑)。

「だから音楽とは関係ない会社ばっかり受けてたんですけど、ロッキング・オンだけは受けたんです。やっぱりどうしてもやってみたくて。そうしたらエントリーシート通っちゃって。次に筆記があるんですけど、それは“過去1年分のロッキング・オン社の刊行物を読んでおけ”って前の年に受けた音小屋の同期が教えてくれたので、国会図書館に読みに行きました(笑)。で、筆記も受かっちゃって、次が面接で。そしたらもう渋谷さん(渋谷陽一さん/ロッキング・オン社長)とかがいらしたんです。エントリーシートに書いた内容にいろいろ質問されたりしましたね」

――詳しく聞いてもいい?

「私はフェス部門で応募してたので、“10年後ロックフェスはどうなっていくか”みたいな質問があって、それに“もっと特色のあるフェスが増える”みたいなことを書いて。これは音小屋で知ったことなんですけど、メディアがやるフェスとイベンターがやるフェスっていうのが2本柱であって。メディアがやるフェスに出演するメリットっていうのは、TVとかラジオで取り上げてもらえる。もう一方のイベンターがやるフェスは、例えば北海道のライジングサンがそうなんですけど、それは北海道で大きな力を持っているイベンターがやってて、今後も北海道でライブをするためにはそのイベンターと結びついていないといけないから、いいラインナップになりやすい。ただ、最近になってアーティストが主催するフェスが出てきて。京都大作戦(10-FEET主催)とか京都音楽博覧会(くるり主催)とか。氣志團とかT.M.Revolutionとかもやってますよね。そういうフェスは主催者と出演者の交友関係とかでブッキングする部分もあって。で、それよりさらに一歩行って、地方が…観光協会とかが町おこし的にやり始めてる。わたし、大学生のときに愛媛県の新居浜市であったイベント(アカガネマリンミュージックフェスティバル/2011年10月16日に地元観光協会主催で開催)に行ったんですけど、それは水樹奈々とLUNKHEADと、D.W.ニコルズとかが出てて」

――あれ行ったんだ!

「そうです、行ったんです!! 普通ならあり得ないじゃないですか、LUNKHEADと水樹奈々って組み合わせ。でも、同じ市出身っていうことで、こういうブッキングができる。今までフェスとかやらなかった人たちが、音楽の力に気づいて動き出してる、って…なんかめっちゃ熱く語ってしまった(笑)。だから、これからはフェスごとにもっと特色が出る方向に向かっていると思うし、同じようなメンツのブッキングだけでは、お客さんが来てくれなくなっちゃうと思うから、そういう方向にシフトしていかねばならない…みたいなことを書いて(笑)。それについて質問されて、今みたいに話して。あと、筆記試験合格後に“新しいフェスを考えて来て下さい”ってお題ももらってて、それに関する話もしました。」

――へぇ~!

「ディスクレビューをする欄もあって、“最近買ったCDを3枚挙げて、そのうちの1枚についてレビューして下さい”みたいな。それで私は、田村ゆかりとTHE BAWDIESとつばきフレンズを挙げて、つばきフレンズでレビューを書いたんです」

――その3枚、すごい良いチョイスだね!

「ロキノン系まっしぐらの方がいいのかな、とも思ったんですけど、その3枚にしました。それで面接も受かって、次がグループディスカッションだったんですよ。その時点で20人くらいに絞られていて、そこで受かったら最終面接だったんですけど、落ちて……でも敗因は自分でもなんかわかっていて。そのディスカッションは、まずそれぞれが意見を言って、それについて賛成意見と反対意見を述べよ、みたいな形式だったんです。でもわたしはみんないいと思っちゃって、反対意見を言えなくて。それで落ちたのかなと思うんですけど、でもそれならしょうがないなーって。わたしはそんなに批判的な目を持って生きたいとは思わないし、人や物事のいいところを伸ばしたいタイプなので(笑)」

――鹿野さんはロッキング・オンを退社した人だけど、音小屋に行ってたことって履歴書に書いた?

「いや、書かなかったです。音小屋のせいで落ちたってなったら音小屋を嫌いになりそうだったし、音小屋に行ってたから受かったっていうのもなんか悔しいので…いろいろ考えたんですけど。今となっては、書かなくてよかったと思ってます。自分の実力でそこまで行けたことが誇りです」

――今は音楽を仕事にしていないけど、音小屋とかに行ってたことは今後ライブや音楽を楽しむ上で活きている感じ?

「音楽について色々と知れたことが良かったし、鹿野さんと仲良くなれたのも良かったし、音小屋の人と仲良くなれたのも…なんか結局、いろんな人と仲良くなれたのが良かったみたいな(笑)」

――でもそうだよね、音楽の話ができる人が欲しくて入ったんだもんね。

「そうですね、全然違う音楽を聴いている人とも仲良くなれたので、新しい音楽とも出会えて、良かったです。音楽を純粋に楽しめるっていうのが、音楽業界で働いていない人の特権だと思うので、これからもとにかく、楽しくいきたいです」■

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