小川×ツルヤ―ライブについて

≪お話のお相手≫ 小川さん…千葉県出身、東京都在住の女性。くるりやFoZZtoneのコピーバンド、セッション会にドラムで参加。FoZZtone元メンバーの越川慎介さんの中学校の先輩で、1stフルアルバム『カントリークラブ』のスペシャルサンクスに“小川先輩”としてクレジットされている。

収録日:2014年3月12日(水)21:00~ @東京都渋谷区

――初めて行かれたライブって覚えてます?

「吹奏学部だったんでコンサートとかは割と行ってたんですけど、ちゃんとライブっていうと、大学生の時に先輩に席が余ってるからって連れて行かれたクライズラー&カンパニーの解散公演、武道館(笑)。自分から行ったのはthe pillowsのライブが初めてです」

――ピロウズは何で知ったんですか?

「大学の時に2年生から演劇部に入ったんですけど、その公演の時に演出の人がピロウズを選曲してBGMで流して、“あ、いいじゃん!”って思って」

――それまで、そういうロックバンドの音楽って聴かれてたんですか?

「いいえ、ぜんぜん」

――じゃあドラムは吹奏学でやられてたんですか?

「ええ、中高と吹奏学部で。そこでパーカッションだったんで、ドラムもやらされて、嫌々みたいな(笑)。誰も教えてくれない(笑)」

――それでピロウズのライブに行って…その後はどうやって流れ流れたんですか?

「くるりも好きで聴いてて、けっこうライブにも行って…。それでFoZZtoneを知ったのは、実は越川君(越川慎介さん/FoZZtone元メンバー)が中学の時に、私が1コ上の先輩だったんですよ」

――え!?

「ずっと言う機会がなかったんだけど(笑)。彼は当時トランペットをやっていて、その時はそこまで接点は無かったんですけど、仲良い友達がパーカッションパートの1コ後輩にいて。その子と10何年か後に呑んだら越川君が一緒に来て、“俺、今バンドやってるんですけど”って話になって、それで初めて観に行って。本当にまだ持ち曲が数曲しかなくて、いつ行っても同じ曲をやってるみたいな(笑)。まだキャノンさんも入る前で、女性の方がベースをやってた頃にも1、2回観ましたね。で、キャノンさんが入ってメンバー固定して良かったね、みたいな話もして。実は、『カントリークラブ』のスペシャルサンクスに私の名前が載ってるんです。“小川先輩”って書いてある(笑)」

――うわー、すごい…! それ以来ずーっと観てる感じなんですか?

「やっぱり毎回は行けないんですけど、ワンマンは必ず」

――でも、きっかけになった越川さんが抜けて(2010年脱退)、それでもまだ来てるってゆうのは…。

「純粋に渡會さん(渡會将士さん/FoZZtone)の声がすごく好きで。あと、バンド自体もすごく好きになっちゃってたんで、いちファンとして。でも、初めの頃に一緒にフォズのライブに行ってた友達はもういなくなっちゃってて…」

――だって、その頃と全然違うバンドですよね(笑)!?

「でも私はクラシックとかロックとか色んなジャンルを幅広く聴いてたから、変化を受け入れることにあんまり抵抗が無くて。あとはもう、親戚のおばちゃんみたいになっちゃって、赤坂BLITZとかで“ああ、すごいお客さんがいる…!”って思って嬉しくなっちゃって(泣)。もう、ガレージ(ライブハウス下北沢GARAGE)でお客さんが10人くらいしかいないとかも経験してるんで」

――見守り続けてますよね…!

「本当にそうですね」

――小川さんご自身は、演劇の方は続けてらっしゃったんですか?

「そうですね。大学を卒業してからも4年間、先輩が作った劇団にいたんですけど。役者と音響ですね。そこはけっきょく、主催が解散させちゃったんで辞めざるをえなくなったというか。他の劇団に行ってまで続けようとは思わなくて」

――ドラムも並行してずっと続けてらっしゃったんですか?

「いいえ、続けてなかったですね。ドラムを再びやり始めたきっかけっていうのが、くるりのコピーバンドをやろうみたいな企画が持ち上がって。それも普通のコピーバンドじゃなくて、隊長がやっぱり音大出で自分で譜面とか起こせちゃう人で、楽器できない人は鍵盤ハーモニカとかリコーダーとか、出来る人はクラリネットとかサックスとか。色んな楽器が集まって総勢20何人で、“みんなで音楽やりましょう”みたいなところで。でも、そこもパーカッションが全然集まらなくて、“私、ちょっとできますけど…?”みたいに言ったら“ハイハイハイ!!”みたいな(笑)。“やってやってやって!”って(笑)」

――食い付きがすごい(笑)。

「くるりの主催で毎年、京都で音博(京都音楽博覧会)ってイベントやってるんですけど、それの前夜祭を勝手にやろうみたいな話になって。もう無くなっちゃったんですけど、会場の目の前にあったライブハウスでライブをやって、お客さんも100人くらい入って。それを2年連続でやった後に、3年目は東京でやろうって話になったんですね。音博の1ヶ月後くらいに開催して、そこでくるりからお花を頂いたんですよ」

――わー、すごいなぁ…。

「くるりの公式の企画で、『言葉にできない笑顔を見せてくれよ』のリリースのタイミングで“演奏している動画を募集します”ってゆうのがあって、最新アルバムのスコアとか無いんですけど“じゃあ全部やろう”みたいな話になって。簡単なコード譜からぜんぶ起こして無理やり集まって撮影して、毎日1曲ずつ送りつけようって(笑)。それも半分くらい私が叩いてます。見よう見まねでカホン叩いたり。だから、そこでドラムを10何年かぶりに3年くらい根詰めてやってたんです。ただ、そこは今は隊長が結婚されたりして休止中で、今もたまに集まってセッションしたりはするんですけど定期的なものではなくなってたんですよ。そんな時にFoZZtoneのセッション会の話が出てきたんですよね。最初は普通にお客さんで行こうと思ってたんです。セッション会のチラシを観た時に感動したんですよ、“セッション会やって人が集まるようなバンドになったんだー”って。それでTwitterをチェックしてたら、“あ、やっぱドラマー足りないんだな”って(笑)。そしたらいつの間にか全部叩いてる(笑)」

――お世話になりました…!!!

「今回はかなりボリュームもあったし、半分くらい譜面を起こさなきゃならなかったし、期間も短くて危機感もあったんですけど。でも、やっぱりやれて良かったです。今、新しいペダルを買おうか悩んでるんですよ(笑)」■

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